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東京地方裁判所 昭和56年(ヨ)2252号 判決

申請人

小野博史

右代理人

黒田純吉

虎頭昭夫

被申請人

硬化クローム工業株式会社

右代表者

三浦了

右代理人

島田種次

浅見精二

主文

一  被申請人は申請人に対し、金九八万七一四三円を仮に支払え。

二  その余の本件申請を却下する。

三  申請費用はこれを一〇分し、その七を申請人の負担とし、その余は被申請人の負担とする。

事   実≪省略≫

理由

一申請の理由一1、2、同二の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二そこでまず、第一次的懲戒解雇の効力について判断する。

1  被申請人会社が、昭和五六年三月二七日、三枝総務部次長を介して口頭で申請人に対し、同日限りで申請人を懲戒解雇する旨の意思表示をしたこと、被申請人会社の就業規則四〇条一二号が懲戒解雇事由の一つとして、「無届欠勤一四日を超える者およびはなはだしく職務に不熱心な者」と定めていることはいずれも当事者間に争いがない。

ところで、右就業規則四〇条一二号は、その規定の仕方に照らして、同号に基づき懲戒解雇をなすためには、被解雇者が前段の「無届欠勤一四日を超える者」であることのほかに、さらに後段の「はなはだしく職務に不熱心な者」であることの二要件を充たすことを必要とする趣旨の規定であるといわざるを得ない。しかし、同号に基づく懲戒解雇に常に前段と後段の各要件が要求されると解するのは相当でないというべきである。なぜならば、前段の無届欠勤の日数、態様によつてはそれだけで後段の「はなはだしく職務に不熱心な者」と認められる場合もあり得るからである。したがつて右のような場合は、前段の要件を充たすことによつて後段の要件も充たされたことになるものというべきである。

そこで右見地に従い、まず就業規則四〇条一二号前段の該当性から検討することとする。

(一)  就業規則四〇条一二号前段(「無届欠勤一四日を超える者」)の該当性

(1) 申請人が昭和五六年三月四日有休をとり、動労千葉ジェット燃料貨車輸送阻止ストライキの支援に参加したこと、その際申請人が国鉄成田駅において不退去罪を犯したとして逮捕・勾留されたこと、このため申請人が同月二五日に釈放されるまでの一七日間被申請人会社を欠勤したこと、被申請人会社は欠勤につき就業規則二八条において「社員が欠勤するときは別に定める書式により、予め承認を求めなければならない」と定め、一定の書式による欠勤届を提出することを義務付けていること、有休の請求についてはかかる就業規則の定めはないものの、事前に有休届を提出するのが慣行とされていること、しかるに申請人は前記欠勤に際し、事前に右のいずれの書面も提出しなかつたことは当事者間に争いがない。

右事実によれば、申請人の一七日間の欠勤は、そのすべてが事前に所定の書面による届出を経ないという意味での無届欠勤であつたことは明らかである。

(2) しかし、<証拠>によれば、被申請人会社は従業員の欠勤につき事前に欠勤届を提出し承認を得なかつた場合であつても、①欠勤当日本人又は家族から電話で欠勤する旨の連絡があつた場合、②かかる連絡がなくとも会社からの電話等で本人と連絡がとれた場合、③単身で暮している者が病気等やむを得ない事由で二、三日連絡できなかつた場合、については事後に提出された欠勤届を承認し、これを無届欠勤扱いとしないとする取扱いを行つていたこと、また有休についても事前に有休届を出さなかつた場合であつても、欠勤の場合と同様の事由が存在するときは、事後に有休届が提出された段階で欠勤を有休に振り替えるという取扱いをしていたことが一応認められるところ(<証拠判断略>)、本件において、申請人の欠勤した初日の昭和五六年三月五日朝、申請人の友人磯部行雄から被申請人会社の三枝総務部次長のもとへ電話で申請人が欠勤する旨の連絡があつたこと、申請人が欠勤後出社した同月二六日に、「三月四日の動労千葉ジェット燃料貨車輸送阻止ストライキの支援中不当に逮捕され勾留されたため」との理由を付して三月五日から三月九日までの四日間の有休届と、三月一〇日から三月二五日までの一三日間の欠勤届とを直属の上司に提出したことは当事者間に争いがないから、前認定のごとき被申請人会社の欠勤、有休届の取扱いに従えば、申請人は友人磯部を介して事前に欠勤の電話連絡をし、事後に所定の欠勤、有休届をしたものとして、被申請人会社は申請人の欠勤につき事後の欠勤、有休届のとおり、最初の四日間を有休とし、残る一三日間を事前に届出のあつた欠勤として扱つてしかるべきであると考えられなくもない。

(3) しかし、欠勤、有休に関する被申請人会社の前記(2)のごとき取扱いは、それが慣行といえるかどうかはともかく、少なくとも事前に欠勤届もしくは有休届を提出したのと同視し得るような電話等による連絡があつた場合か、事前に書面による届出ないしは連絡をし得ないやむを得ない状況にあつた場合に限り特に認められる便宜上の取扱いというべきである。しかるに本件の場合、<証拠>によれば、昭和五六年三月五日朝の磯部と三枝総務部次長とのやりとりは、

磯部 「小野君の友人の磯部と申しますが、小野君が用事で休みます。頼まれましたので」

三枝「何の用事で休むのですか、何日位ですか、二、三日ですか、一週間位ですか」

磯部 「それはわかりません」

三枝 「休みの届けは本人じやないとだめなんですよ。本人がいたら出して下さい」

磯部 「今本人はいません。お伝えだけはいたしました」

というものであつたことが一応認められ(<証拠判断略>)、これによれば、磯部は三枝総務部次長から申請人の欠勤の理由、欠勤の期間、居場所等を聞かれたにもかかわらず何らこれらの事項について答えず、加えて自らを申請人の友人と名乗るだけでそれ以上の自己の立場、申請人との関係等について一切明らかにしていないのであるから、これをもつて事前の届出、連絡があつたと同視することはできない。また、被申請人が黙秘権を行使していたとしても、申請人において被申請人会社の要求するような欠勤届ないしは有休届を提出し得ないわけではないし、またこれらに代わり得る連絡をすることができないわけではないから、本件はかかる届出ないしは連絡をし得ない場合にもあたらないというべきである。そうすると、前記(2)のごとき被申請人会社の欠勤、有休に関する便宜上の取扱いに従うとしても、本件の場合はかかる取扱いをなし得る場合にあたらないといわざるを得ない。

もつとも、<証拠>によれば、申請人が昭和五六年三月二六日に三月分の賃金を支給された際に渡された給与支給票の欠勤日数欄に、あたかも被申請人会社が申請人の前記有休届に従い、申請人の欠勤当初の四日間を有休扱いとし、賃金締切日までの欠勤日数を一〇日としたかのように、「一〇日」と記載されていることが一応認められるけれども、<証拠>によれば、被申請人会社が欠勤を便宜上事後に有休扱いとするのは事後に有休届が提出され、これに基づき被申請人会社(最終的には三枝総務部次長)がそのような取扱いをしても差支えないと判断し、承認してからのことであるところ、被申請人会社は申請人の欠勤が一四日以上になるに及んで申請人は懲戒解雇に値するとしてその検討を行つていたこと、三枝総務部次長は申請人が欠勤後提出した欠勤届、有休届についてこれを事前に届出があつたとする扱いはできないと判断し、申請人が提出した有休届に押印もしなかつたことが一応認められるから(<証拠判断略>)、右「一〇日」の記載をもつて被申請人会社が申請人の四日間の有休を認めたとすることは到底できず、他に右認定を覆すに足りる疎明はない。

(4) 以上検討したところによれば、申請人は、一七日間の無届欠勤をしたものというべきであるから、無届欠勤一四日を超える者として前記就業規則四〇条一二号前段に該当するものというべきである。しかし、右無届欠勤は、その理由、態様等からして、それ自体としては未だ申請人が「はなはだしく職務に不熱心」であることの徴表とまではいえないというべきであるから、進んで前記就業規則四〇条一二号後段の該当性について検討することとする。

(二)  就業規則四〇条一二号後段(「はなはだしく職務に不熱心な者」)の該当性

(1) <証拠>によれば、被申請人会社は毎年六か月ごと(六月一日から一一月三〇日までと一二月一日から翌年五月三一日まで)に従業員の勤務査定を行つていること、その際被申請人会社は従業員の出勤状況を統計的に出していること、それによると、申請人と被申請人会社の全従業員との欠勤日数、遅刻・早退時間の比較はそれぞれ別表<略>1、2のとおりであり、申請人と同一職場の職員(但し、役付を除く。)との出勤状況、実質的な遅刻回数、残業時間等の比較はそれぞれ別表<略>3ないし5のとおりであることが一応認められる。

右事実によれば、申請人は、被申請人会社の他の従業員と比較すれば欠勤や遅刻・早退が多く、早出残業や休日出勤に応ずることも少なかつたということができる。

(2) しかし、申請人の欠勤の回数、遅刻・早退の時間はそれ自体を見れば極端に多いとはいえないし、早出残業や休日出勤をことごとく拒否していたわけでもない。そもそも、正規の勤務時間における勤務態度等を特段問題とすることなく、主として早出残業や休日出勤の時間が少ないことを職務不熱心の徴表とするのは当を得ないものといわなければならない。加えて、<証拠>によれば、申請人は被申請人会社に勤務して以来、早出残業や休日出勤をするよう上司から言われるようなことはあつても、職務怠慢あるいは職務不熱心であるとして直接上司から指摘を受けたり、注意されるようなことはなかつたこと、またこれを理由として減給、戒告等の懲戒処分を受けたり、昇給を停止させられるようなこともなかつたこと、被申請人会社は第一次的解雇の通告を行つた後、社内報の「メタル九九七号」において、右解雇の理由につき、申請人が無届欠勤一四日を超えたものであることを説明するだけで申請人が職務不熱心であつたことについては何ら触れていないことが一応認められ、これらの事実に鑑みると右解雇当時被申請人は申請人を「はなはだしく職務不熱心な者」とまでは認識していなかつたものと推認されること、などに照らすと、申請人が「はなはだしく職務に不熱心」であつたとまではいうことができず、他にこれを認めるに足りる疎明もない。

(3) そうすると、申請人は、前記就業規則四〇条一二号後段には該当しないものといわなければならない。

2 前記のとおり、本件懲戒解雇が有効になされるためには、原則として就業規則四〇条一二号前段の要件と後段の要件との双方を充たすことが必要と解されるところ、右にみたように申請人には前段の無届欠勤一四日を超える者にはあたるものの、それだけでは後段の職務不熱心な者にあたるものとはいえず、かつ他に職務不熱心であると認めるに足りる疎明はないから、結局のところ本件第一次的懲戒解雇は解雇事由を欠くものとして無効であるといわなければならない。

三そこで次に、第一次的通常解雇の効力について検討する。

被申請人は、第一次的懲戒解雇が無効であるとしても、右解雇の意思表示に際しては同時に解雇予告手当を提供しているから、右意思表示は通常解雇としての効力も有する旨主張する。しかし、解雇の意思表示は使用者の一方的な意思表示によつてなされるものであるから、これに右のような無効行為の転換のごとき理論を認めることは相手方の地位を著しく不安定なものにすることになり、許されないものというべきである。したがつて、被申請人の第一次的通常解雇の主張はそれ自体失当といわなければならない。

四そこでさらに、第二次的懲戒解雇の効力について判断する。

1  被申請人が、昭和五六年一〇月九日付準備書面を同月一六日の本件口頭弁論期日に陳述し、同日限りで申請人を懲戒解雇する旨の意思表示をしたことは当裁判所に顕著な事実である。

2  そこで、右解雇事由のうち、まず経歴詐称の事実について検討する。

(一)  被申請人会社の就業規則四〇条二号が懲戒解雇事由の一つとして「姓名または重要な経歴をいつわり、その他詐術を用いて採用された者」と規定していること、申請人は昭和五四年八月一〇日足立公共職業安定所の紹介により被申請人会社に採用面接のため来社したこと、被申請人会社では、三浦了専務(現社長)、三浦陸男管理部長、三枝総務部次長が面接にあたつたこと、その際申請人は、最終学歴として昭和四八年三月東京都立井草高等学校卒業、職歴として昭和四八年四月有限会社大久保金物店入社、昭和五三年六月同社退社、昭和五三年一〇月株式会社大和田製作所入社、賞罰はなし、と記載した履歴書を持参したこと、しかるに、申請人は右のとおり高等学校を卒業後、一年間の大学受験浪人をし、昭和四九年四月一日国立東京水産大学に入学し、昭和五三年九月一日「一身上の都合」を理由に同大学を中途退学したもので、昭和四八年四月から昭和五三年六月までの間有限会社大久保金物店の社員となつたことはなかつたこと、申請人は、昭和五二年八月二三日東京都渋谷区内の代々木公園における狭山差別裁判批判を目的とした集会において公務執行妨害及び凶器準備集合の罪を犯して逮捕・勾留され、東京地方裁判所に起訴され、前記面接当時には判決宣告日を間近に控えていたこと、そして申請人は、昭和五四年八月二九日(試採用の一三日後)右裁判所において、右各罪により懲役二年六月、執行猶予四年の判決を受け、東京高等裁判所に控訴したが昭和五五年六月八日控訴棄却の判決を受け、最高裁判所に上告したが昭和五六年三月二二日上告棄却の決定がなされ、右第一審裁判所の判決は確定したことはいずれも当事者間に争いがなく、右事実と<証拠>によれば、以下の事実が一応認められ、申請人本人尋問の結果中右認定に反する部分は採用できない。

(1) 申請人は、昭和四八年三月東京都立井草高等学校を卒業し、一年間のいわゆる大学受験浪人を経て、昭和四九年四月一日国立東京水産大学に入学したが、約四年半後の昭和五三年九月一日「一身上の都合」を理由に同大学を中途退学した。その後申請人は、昭和五三年一〇月株式会社大和田製作所に入社し、昭和五四年八月七日同社を退社した。

右大学在籍期間中、申請人は三里塚闘争支援、狭山裁判批判闘争、日韓の関係、大学内の学費値上げ反対に関する闘争等にかかわり、昭和五一年狭山裁判闘争の関係で逮捕されたほか、昭和五二年八月二三日同闘争の際公務執行妨害及び凶器準備集合の罪で逮捕・勾留され、東京地方裁判所に起訴された。そして、右刑事裁判において申請人は、被申請人会社入社直後の昭和五四年八月二九日懲役二年六月、執行猶予四年の一審判決を受け、東京高等裁判所に控訴したが、昭和五五年六月八日控訴棄却の判決を受け、最高裁判所に上告したが昭和五六年三月二二日上告棄却の決定がなされ、右第一審裁判所の判決は確定した。

(2) 申請人は、前記株式会社大和田製作所を退社後、被申請人会社がメッキ係社員を募集しているのを職安の求人カードを見て知り、昭和五四年八月一〇日被申請人会社に採用面接を受けるために来社した。そこで被申請人会社は同日申請人の採用面接を行つたが、その際申請人が提出した履歴書には、最終学歴として昭和四八年三月東京都立井草高等学校卒業、職歴として昭和四八年四月有限会社大久保金物店入社、昭和五三年六月同社退社、昭和五三年一〇月株式会社大和田製作所入社、賞罰はなし、と記載してあつた。すなわち、右履歴書は、申請人が高卒後すぐ就職し、一度転職した後、被申請人会社に応募したという内容のものであつた。

右採用面接において申請人は、最初に面接にあたつた三枝総務部次長の経歴に関する質問調査に対し、右の履歴書記載事項が真実であるかのごとく、大久保金物店に五年勤務したこと、大久保金物店の従業員は二人だつたこと、大久保金物店では工場を持つていて門扉及び付属器具の製作販売あるいは取付けとか組立てをしていたことなどを説明した。そして申請人は、三枝総務部次長の面接が一とおり終わつた後、当時の専務取締役、現在の三浦社長から、「井草高校というのは進学校なのに、なんで大学に進学しなかつたのか」と質問されたのに対し、はつきり答えないで、うまくにごした。

被申請人会社は、申請人の履歴書の記載内容、採用面接時の質問に対する応答に誤りはないものと信じ、申請人が被申請人会社のメッキ係社員に適うものと判断し、昭和五四年八月一六日申請人を試採用した。

(3) ところで、被申請人会社の鍍金課所属社員は、昭和五八年一一月三〇日現在、季節社員を含め二二名(本社工場)であるが、同課の社員は、大学の生産工学部工業化学科卒業者で将来の技術系担当役員への登用が計画され現場見習いをさせられている二人の幹部要員を除き、課長以下の中・下級管理職を含め、すべて高卒又は中卒の学歴者で占められている。また、鍍金課のほかに生産現場で働く工員・従業員のいる課は研磨課、治具課及び研削課であるが、これらの課の課長以下すべてが高卒又は中卒である。被申請人会社は、鍍金という作業が高度な知識を要しない肉体労務に従事するものであること、そのような労務に耐えて熟練工員となつてもらうためには高卒以下の学歴者が適すること、高卒又は中卒者ばかりの現場従業員の中に大卒又は大学中退という高学歴者を配置することは職場秩序を乱すと考えられることなどの理由から、大卒者又は大学中退者は工員として不適、有害と考え、申請人の在職中はもとより過去から一貫してこのような人事労務管理体制をとつている。

(4) 被申請人会社は、第一次的解雇の通告をなした後、社内で申請人が国立東京水産大学に入学した経歴を有しているとの噂があるのを知り調査したところ、申請人が入社の際前記のように経歴詐称したことを知るに至つた。

(二) 以上の事実を前提として申請人に「重要な経歴の詐称」があつたかどうかについて検討するに、一般に企業が労働者を採用するにあたつて履歴書を提出させ、あるいは採用面接において経歴の説明を求めるのは、労働者の資質、能力、性格等を適正に評価し、当該企業の採用基準に合致するかどうかを判定する資料とするとともに、採用後の労働条件、人事配置等を決定する資料とするためであるから、かかる経歴についての申告を求めることは企業にとつて当然のことといわなければならない。したがつてその反面として、企業に解雇され、継続的な契約関係に入ろうとする労働者は、当該企業から履歴書の提出を求められ、あるいは採用面接の際に経歴についての質問を受けたときは、これについて真実を告げるべき信義則上の義務があるものというべきであり、これを偽り詐称することは右にいう信義則上の義務に違背することになるものというべきである。

しかし、かかる経歴詐称が懲戒解雇事由たり得るためには、単に契約締結過程において信義則上の義務に違背したというだけでは足りず、原則としてそれにより本来与えられるはずのない賃金、職種等を取得したとかの企業秩序侵害の事実が存在することが必要というべきである。しかしその例外として、労働者が経歴詐称により本来従業員たり得ないのに従業員たる地位を取得した場合は、右詐称は重大な信義則違反であり、かつ契約成立の根幹をゆるがすものであるから(民法九五条参照)、それにより企業秩序が侵害されたかどうかを問うまでもなく、それ自体で企業秩序に重大な影響を与えたものとして、懲戒解雇事由にあたるものというべきである。

被申請人会社が、前記のように、「重要な経歴」についての詐称を懲戒解雇事由としているのは、以上のような意味のものとして理解すべきである。そこで、これを本件についてみるに、前認定の事実によれば、申請人は最終学歴である国立東京水産大学中退の事実をことさら秘匿し、これと異なる架空の職歴を履歴書に記載し、採用面接の際にもそのように申告したのであるから、明らかに経歴を詐称したものというべきである(なお、この点について申請人は、学歴について真実と異なつた事実を告げたのは大学に在籍していたことを否定したいとの申請人の個人的信条によるもので、他意はなかつた旨主張するけれども、たとえそのような動機によるものであつたにしろ、自己の経歴についてそれが真実でないことを知りつつ、あたかもそれが真実であるかのように申告した以上、それが経歴詐称にあたることは否定し得ないものといわなければならない。)。しかして、被申請人会社は、前認定のように、高卒、中卒の従業員を中心とする人員構成をとり、かつ、メッキ係社員については高卒以下の学歴者を採用するとの方針をとつているものというべきであるから、申請人が自己の学歴についてありのままにこれを履歴書に記載し、採用面接の際の質問にも答えていれば、申請人を採用しなかつたものというべきである。しかも、申請人が国立東京水産大学を四年半在籍して中退したとの事実を申告していれば、被申請人会社としては当然それに不審を抱き、採用面接の際にその理由を問い質し、あるいは独自に調査を行うなどして、少なくとも申請人が刑事裁判を受けている身であることについてはこれを知り得たものと推認されるから、その意味でも被申請人会社は申請人を採用しなかつたものというべきである。

そうすると、申請人は国立東京水産大学中退の学歴を詐称したことにより本来採用されなかつた被申請人会社の従業員たる地位を取得したもので、被申請人会社の企業秩序に重大な影響を与えたものということができるから、前記のように右の学歴詐称は「重要な経歴」の詐称にあたるものというべきである。

3 したがつて、申請人は懲戒解雇事由を定めた被申請人会社の就業規則四〇条二号に該当するものであり、他にこれが無効であるとの主張、疎明はないから、その余の解雇事由について判断するまでもなく被申請人の第二次的懲戒解雇は有効というべきである。

五そこで申請人は、第二次的懲戒解雇が有効になされるまでの間、すなわち昭和五六年一〇月一六日までの間、被申請人会社の従業員たる地位を有していたことになるから、以下申請人が支給を受くべき賃金額について検討する(なお、申請人は、第一次的解雇の効力を争つていながら、申請の趣旨においては右解雇の意思表示のなされた以前の昭和五六年三月二一日からの賃金を請求しているかのようであるが、その趣旨を善解すれば、申請人は右解雇の意思表示の翌日、すなわち昭和五六年三月二八日からの賃金を請求しているものというべきである。)。

1  <証拠>によれば、被申請人会社において賃金は前月二一日から当月二〇日までの分を当月二五日に支給するものとされているところ、申請人は被申請人会社から、基準内賃金として基本給一一万〇八〇〇円、住宅手当六〇〇〇円、精勤手当一万四〇〇〇円(皆勤の場合)、基準外賃金として実績に基づく時間外作業手当、深夜作業手当、休日作業手当、ホーニング・フレキシブル手当、宿・日直手当等の支給を受けていたこと、その支給額は基準外手当が実績に基づくことなどから月によつて変動があり、申請人の場合、公租公課等控除前の名目支給額は昭和五五年一二月分が金一四万四一〇九円、昭和五六年一月分が金一五万六九二〇円、同年二月分が金一四万四九一四円、同年三月分が前記一七日間の欠勤があつた関係で金一二万七二八七円であつたことが一応認められる。

右認定の事実によれば、申請人の支給を受くべき賃金は、特殊事情のない昭和五五年一二月分以降三か月分の賃金総額から算出した月額平均賃金をもつてその算定基礎とするのが相当である。そして、それによると、申請人の月額平均賃金は一四万八六四七円(円未満切捨、以下同じ)であるから、申請人の支給を受くべき賃金は昭和五六年三月二八日から同年四月二〇日までの分(日割)が金一一万五〇八一円(右月額平均賃金の三一分の二四)、同年四月二一日から同年九月二〇日までの分(月割)が金七四万三二三五円、同年九月二一日から同年一〇月一六日までの分(日割)が金一二万八八二七円(右月額平均賃金額の三〇分の二六)となり、合計金九八万七一四三円となる。

2  ところで、申請人は、昇給分及び一時金分についてもこれを支給すべきであると主張するけれども、<証拠>によれば、被申請人会社は給与規則において、昇給につき「昇給は年一回以上とし、勤務成績によるものとする」(一六条)、一時金につき「賞与を含む臨時給与は、会社の業績によりその都度定める」(三条3(7))と定め、昇給を実施し、あるいは一時金を支給してもその具体的な支給基準、支給明細は一切これを明らかにしていないことが一応認められる。

してみると、被申請人会社においては、昇給額ないしは一時金の支給額は被申請人会社の純然たる裁量に委ねられているものというべきであるから、かかる裁量に基づく被申請人会社の意思表示によらずして、申請人に昇給、一時金の具体的請求権があるものとはいえない。本件においてかかる意思表示のないことは明らかであるから、この点に関する申請人の主張は失当というべきである。

六そこで最後に保全の必要性について検討するに、<証拠>によれば、現在申請人は妻と長女(昭和五九年六月一八日生)の計三人でアパート暮しをし、申請人が働いて家計を賄つているが、アルバイト程度で収入は少なく、家計は毎月赤字を三、四万計上している状況にあることが一応認められるから、過去の賃金とはいえ、前記賃金の仮払を受ける必要性があるものということができる。

七よつて、本件申請は被申請人に対し金九八万七一四三円の仮払を命ずる限度で理由があるから正当としてこれを認容することとし、その余は失当であるからこれを却下し、申請費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(近藤壽邦)

(別表1〜5)<省略>

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